少し前から話題になっている「何者からかの手紙」を何通か手に入れた。
「何者からかの手紙」とは、架空の何者かが書いた手紙。本当は、“誰か”に届くはずだった手紙を、私たちが受け取る。そんな遊び心がある封筒に入れられた手紙型の短編小説のこと。
1日1通ずつ。数日かけてゆっくり、丁寧に、読んだ。
最初に読んだのは「昨日からの手紙」。たくさんある中でも、一番惹かれた手紙だった。全部読んだなかでも一番のお気に入り。
なんだろうなぁ、届いたときから思ったけど、やっぱり紙の手紙は素敵だ。ずっとずっとそばにおいて、ふとしたときに読み返したくなる。メールやSNSのDMは便利だけど、紙は特別なんだ。
私、「昨日からの手紙」を読んで、ほろりと泣いてしまった。
抜粋していいかわからないけど、一部、ほんの一部だけ。
もし、キョウと共にいるのならば伝えてください。過去の日々は私たちが守るからキョウはきちんと今日であってくださいと。
「さぁ、今日に乾杯だ」
それでは、くれぐれもキョウによろしく。
キノウより
過ぎてしまった昨日も、おとといも、その前も、私を支える力になる。定期的に読み返す、大切な大切な手紙になった。
「昨日からの手紙」の次に好きなのが「ライト係からの手紙」。
喫茶店のテーブル一つ一つに置かれている小さなライトを灯す係に任命された子がくれたメッセージ。「まぁ、なんて粋なのかしら」なんて、あまり自分らしくない感想が出てくるくらい、キュンとした。灯そう、パチンと。
なかには、この手紙はよくわからないな、そんなふうに感じる手紙もあったんだけど、私にはわからなかっただけで、誰かにはズンと響くのかもしれない。だってこれは、私宛の手紙じゃない。誰かに届くはずだった手紙を、出来心で読んでしまったんだから。
それでも「昨日からの手紙」と「ライト係からの手紙」は、いつも枕元に置いて、“誰か”の代わりに大切にしている。(ほかの手紙は、保管BOXのなかへ)
「何者からかの手紙」全部読みたいな。少しずつ集めていこう。
そうそう、タイミングよく「届かなかった手紙」も購入できた。
「届かなかった手紙」は手紙型ではなく、冊子型。様々な「何者からかの手紙」がギュッと凝縮されていて、良かったな。とても。
わら半紙の質感が、妙に懐かしくて、やさしくて。
遠い昔、自分がまだ自分ではなかった頃、もしかしたら「何者からの手紙」の届け先だったのかもしれない。そんなふうに考えるのも楽しいかな、なんて。
見ぬだれかを支える力になる言葉。いいなあ。素敵だなあ。